HSP、、、その正式名称は
ハイリー・センシティブ・パーソン。
最近はHPSの本も多く出版されたりテレビでも取り上げられたりして知名度は上がってきました。
さて、
このブログを読んでくださっているということはなにかしらHPSに関心や、ご自身がその気質があるのではと感じているのではないでしょうか?
HPS、簡単に言うと繊細な人です。
繊細というとあまり良いイメージでとらわれませんがその言葉道理で些細なことに自分のセンサーが反応し、悩んだり、悲しんだり、はたまた日端に咲いている花に感動したり、
つまり心と脳の神経が気づかないうちにフル活動してしまうのです。
もちろん悪いことばかりではありません。ほかの人が気づかないような大切なことに気づいたり、太陽の光や風、自然の中で心地よさを人一倍感じることができるのです。
それってつまり、、普通に暮らしているだけで人より疲れるんです。
ただ、他の人より繊細っていうことに気づくのには時間がかかります。
なんせ自分の感覚なんていうのは自分にとってそれが普通なのだから。
私のことでいうと、幼少期からなんとなく生きづらさを感じていましたが、みんないろいろあるんだろうなって思って、自分の感情は普通なんだと思っていました。
普通と思っていたのが普通じゃなかったとわかるにはそれなりの時間と出来事が必要です。
次は
私自身がHSPだと感じるまでの経緯を生い立ちと一緒にご紹介します。
2歳の時に両親が離婚。女手一つで兄妹を育ててくれました。あまり笑いのない家庭だったな
と覚えています。
当時は保育園が大っ嫌いでした。それは先生たちの発言に心を傷付けられたりしたことや、
自分自身が家以外でご飯やおやつを食べることが非常に嫌だったから。。
2年生くらいから、仲の良い集団以外の人と関わるのが苦手、苦痛を感じていました。
それでも近所の遊び相手は年齢もバラバラでそれなりのパーソナリティを築いていました。
よくビックリマンのシールを模写していたな(笑)
3年生になっていじめにあいました。歯医者に行くため母とバスを待っているのを見た同級生
が、貧乏といいはじめました。このころから他人の気持ちを強く意識しだしたのを覚えてい
ます。
4年生のときに母の都合で転校。隣の小学校でしたが前の小学校とは違って人数も多いし、あ
だ名で呼んではいけない、など子どもの気質も違うことにうまくなじめませんでした。
よく揶揄われました。私がいやだって言っているのにしつこくやってくるんですよ。
このころはテニスの部活にはまります。ひたすらテニスの練習ばかり。他のことはどうでも良
いと思っていました。友達は正直いませんでしたね。友達がいても家に呼んだり友達の家に行
くのも嫌だなと考えていました。
相変わらずテニスに明け暮れていましたが、部活以外でテニスクラブに入り、そこで大人たち
と一緒にテニスをしていました。と同時に公庫という新しい環境になり高校ではそこそこ友達
ができました。
さて、ここからが重要です!
思い返すと社会人なってから生きづらさを感じることが強くなりました。
初めて就職した会社も研修中に先輩の「たのむから辞めてくれ」の一言に強いショックを受け
て退職。
その後は運よく大手企業の工場で採用されますが、工場の特性である機械の音や休憩時間でパチ
ンコの話しかしない環境にうんざり。毎日頭痛がしていました。
数年後、転職。。そして介護の仕事につきました。が試練はここからでした。
良くも悪くも大企業で働いていたので、福祉業界との就業環境や職業倫理のギャップを強く感じ
ました。例えば勤務作りで希望休が2日のところ、平気で10日出したりするひとが一人や2人で
はないんです。上司に相談してもうまくやれというだけ。就業規則で決まっていることを無視す
るのは理解できませんでしたね。
他にもグループで決まった介助内容も、自分のやり方はこうだからといって従わない人が多くま
ったく一貫性のない介護になっていました。企業で決まったことに従わないなんて大きな問題で
すよね。
ある一部を取り上げましたが、職員倫理もさることながら上司や管理者がしっかりと職員を指導
できないことに企業とのギャップを感じなかなか受け入れられませんでした。
そのうちに自分が職員へ指導や注意をしていくと現場の職員からクレームが上司へ行き、上司は
私に強く注意したりしてきました。「あんたのやり方が悪い!!」と看護師長には叱責され。。
そんなこと続く中、こう考え始めました。
自分が悪い、と。
自分のやり方がうまくないから相手も怒るんだと。。。
さらに追い打ちが、
認知症の対応を一人ですることが多い環境と夜勤の5連勤などストレスと身体的負荷が強くのし
かかっていました。
一人で発狂していました。
こんな状況で上司に怒鳴ったり、過呼吸や不安・恐怖感が募り心療内科へ。
適応障害と診断されました。
約3年服薬していましたがなかなか治らないし、どうも自分の考え方に問題があるような気がし
てカウンセリングを受けることに。
そのカウンセリングでHSPの傾向が強いと言われました。
これがHSPとわかるまでの経緯です。
正直長かった、、分かったのは30歳後半。
ただわかったことでこれまでのモヤモヤした人生観がパッと明るくなった気がしました。
私はHSPだからこれまで生きづらかったんだ、、と。
精神的な事柄は自分を形成している人生そのものが強く影響していることがあるので
このように生い立ちを振り返ると客観的に納得できますね。
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